アンド・ディのWebサイトにお越しいただきた皆さまこんにちは。代表の佐藤です。
エンジニアリングカンパニーを目指している割にwebサイトをもう少しなんとかならないのかとぐぬぬと歯ぎしりしている今日このごろです。
生存報告をするためにもある程度定期的に記事を更新していくことにしました。(この手のブログが続いたことがないのは秘密です。)
よろしければ、たまに遊びに来ていただけるとありがたいです。
初回の今回は「技術の手触り」として、今直面している生成AIのイノベーションについて考えたことを書きます。今後ともよろしくお願いいたします。
「生成AIの急激なイノベーションに直面している。」と書くとこれを見た大概の皆様はある程度合意してくださるだろうと思う。とはいえ、あえて言葉にしてみて、本当に<直面>しているんだろうか。直面しているとはどういうことなんだろうとと思ったりする。
仮に、イノベーションが波のようだとして、今の生成AIの震源地はOpenAIに代表されるLLMを作ってるソフトウェアカンパニーだろう。彼らは当然技術者としてLLMがどのようなものか理解しているだろうし、一定の範囲でこの凄い技術に興奮しているに違いない。ここで、その震源地からの無限遠を考える。私にとっては例えば実家の母親であるが、インターネットですら必ずしも、本人が直接的に満足に使えているとは言えない。実家の物理的空間には生成AIの波はまだ到達してない。
その中間地点にどのようなメカニズムがあり、どんな立場の人がどんな態度でそれを眺めているのだろうか。面白いのは「驚き屋」である。震源地であるLLMベンチャーの周辺で、アテンションエコノミーのバブルを意図的に起こそうとしてる存在とでもいえるかも。文字通り無限に生成される情報の波を作り出して、人々の感情に引っかき傷を作り出すだけの存在。それは投資さえ集まればよいというLLMインチキビジネスかもしれないし、再生数稼ぎにあえいでいるインフルエンサーかもしれない。
震源地から遠い側には、なんとなく自分では生成AIを積極的に使わない人もいるだろう。そんな人にも、そんな驚き屋が発するオーバーアクションは伝わる。それを見て、このイノベーションをどう理解しているんだろうか。興味が尽きない。よくある会社のコントみたいに「◯◯が凄いらしい。」からの「◯◯を使った新商材を作れ」と具体的内容をすっ飛ばして指示するような、スピード感と体力自慢の経営者がいるのかもしれない。タレントパレットのCMのでんでんさんみたいな感じ笑。
ただ、生成AIの恐ろしいところは今までもっぱらプログラミングを通じてのみ活用できたコンピュータ本来の処理能力を、自然言語を通じて活用できるようになったことである。つまり一般のビジネスマンでもある程度論理的な文章がかける場合は、十分にその凄さを体感できる。だからこその、このお祭りでもあるわけで。
そういう「自分で試してみる」系のチャレンジが産むものは大きいと思う。実際に技術に触れることでその影響力やメディアで言われている評価との自分なりのギャップを体感する、そうしてイノベーションを手触りを通じて理解していく。そんな試みをしてみることが最初の一歩としては貴重なのだろうと思う。
そんなわけで、このイノベーションの周辺には様々なスタンスとポジションが入り混じっていることは間違いない。群盲象を評すというが、不可視なイノベーションを理解するとはそういうことなのかもしれない。そのような混乱の中でこのイノベーションが社会にもたらす影響についてはなおさら不透明である。核エネルギーにおけるマンハッタン計画は最終的にヒロシマ・ナガサキの悲劇を生み、保有国の軍事的優位性を際立たせる結果となった。2025年の生成AIのイノベーションはトランプ米大統領他、驚きの連続する激動の世界においてどんな着地を見せるのだろうか。これからも考えていきたい。
