2025/12/29
2025年も大変お世話になりました【代表コラム】
2025/12/29
代表コラムです。
代表コラムを復活宣言していたのに少し間が空いてしまい、気づいたら年末だった。
完全に言い訳モードですが、どうも前半後半とか、特定のテーマで連載しますみたいに宣言すると筆が止まる。(注:この前のエントリはGithubというアプリで思考の型が提案されているのではないかというものです。)
まあ自分では理由がわかっているつもり。なんとなく前後半とか、N回シリーズと宣言する場合は、当然全体としての構成はある程度決まっているわけで。その続きで書くべき内容というのはなんかもう予定調和になり、自分にとって決まり切った内容をテキストに起こすが如くつまらない作業になってしまう。というか本人がそう思っている。何なら、その手の内容は大まかな指示だけAIに投げればおそらくテキスト化されてそれっぽいものはできる時代である。でも、そういうことがやりたいんじゃないんだよな〜。だから、変な約束をしない方が良いのかもしれない。
じゃあなにがしたいのか?といえば、さらに極端に格好良く言わせていただければ、文章と自分の思考の関係とは一期一会みたいな方がおもしろい。想いも寄らない関心と現実の事象との出会いとか、書きながらどんどん自分で書きたいことが先走ってでてくるような感覚。そういうときは自分としてもおもしろいものがでてくる(と自惚れている)。
なんとなく、多分日常の思考の中で言語化して概念間連結をされてない(=言語化されてない)あやふやな考えがいくつかあって、墓場の幽霊のようにいつか現世に現れたいという欲望がいつくかあるんだろう。うらめしや~。
そんな切迫感のある書きたいテーマに比べると、数日前に続きを書きたいと思ったテーマの続きは少し書くべきこととして魅力が下がる。というのが正直なところではないか。
などと言い訳を書く間にも、2025年の終わりは残酷にもあと数日でやってきてしまうのであって、2026年という21世紀に四半期があるとしたら2Qに入るという記念すべきタイミングにめでたくなります。個人的には情報社会学という学問を少しかじっていて、コンピュータが実用化された1960年代以降の歴史にとって、25年というのはいかにも長い時間だという気もする。実際にi-modeから生成AIまで劇的な変化を遂げているのは事実なので、そのことをめぐる落ち着いて現実のビジネスや社会のあり方に参考になる思想や理論的モデルはあんまり形になってないようにも思います。
めっちゃ大雑把に言えば、科学が想定する原則の変化とその観察スピート度、実際の社会における現象の変化スピードの単位が揃ってないのでしょう。多分、2016年のトランプ選挙の分析などが満足に行われないうちに、2024年の再選が発生しても民主国家を守るための必要な手当ができなかった。そんな色んな意味で不可逆で驚くべきスピードで社会が変化する時代の中で、2026年を迎えるということの意味の重さを痛感しつつ、年末年始を迎えたいと思います。
AIエージェントとバイブコーディングで揺れた2025年だったような気がしますが、その延長線上にある2026年は一体どんな年になるのか。期待と不安がいっぱいですね。
本年も沢山の皆様にお支えいただいて、なんとか2025年の営業を追えることができました。今年と同じように多分非線形で不可逆な変化は引き続き起こるんだと思います。そんな変化に一期一会で前向きに楽しんでいける、そんな仕事に取り組んでいきたいと考えています。また来年もご愛顧のほどよろしくお願いいたします。