先日新宿の映画館で『長いお別れ』という映画を観てきた。 レイモンド・チャンドラーともロバート・アルトマンとも関係はない。認知症になった父親とその家族の7年間の日々を綴った映画だ。 ただしこれはドキュメンタリーでも社会派ドラマでもない。出演しているのは山崎努、松原智恵子、竹内結子、蒼井優……そう娯楽映画なのだ。 ところで、”長いお別れ”と聞いてどんなことを思い浮かべるだろうか。 少しずつ記憶を失っていき、ゆっくりと時間をかけてこの世から消えていくーーそんなことから認知症はアメリカではしばしば「Long Goodbye」と表現されるそうだ。 原作は『小さいおうち』の直木賞作家中島京子の同名小説。(未読なので今度ゆっくり読んでみたい)同世代なので親の年齢は似たようなものだろうから、そういう意味でもちろん他人事ではないが、幸いにしてわたしも妻も、すでに父親を認知症とは無縁のまま見送った。 まあ85歳の母と95歳の義母はこの先どうなるかわからないが。少なくとも6月18日に発生した震度6強の山形沖地震の際、新潟の実家に電話したときは大丈夫だった。 地震といえば、55年前の1964年に発生した「新潟地震」も6月16日と先日の地震の日と近い。偶然だろうか。M7.5と超巨大だったにもかかわらず死者が26人と少なく、奇跡とさえ言われたそうだ。当時わたしはまだ3歳になる手前だったが、母親が血相を変えて家から飛び出してきておもてで遊んでいたわたしをひっさらうように連れ戻したことを覚えている。逆にいうとそれしか覚えていない。 さて話をもどすと、この小説には作者の実体験が反映されているという。映画化されるにあたり中島京子さんは「認知症と聞くと、年老いた親が壊れていってしまうと身構える方が多いと思うのですが、発症してからが長いこの病気と向き合う時間は、ただつらいだけの日々ではなく、涙もあれば笑いもあります。家族にとっての大事な『別れの時間』だと、私は思っています」とコメントしている。素敵ですね。 ちなみに厚労省の推計によれば、団塊の世代が75歳以上となる2025年には、認知症患者数は700万人前後に達し、65歳以上の高齢者のおよそ5人に1人を占める見込みだそうだ。 この映画を観たからという訳でもないが、近頃妻と老後のことを話し合う機会が増えている。 子供のいないわたしたちはいずれ近いうちにたくさんの問題を抱えることになる。老人ホームに入るタイミング、親の墓、自分たちの葬式どうする問題などリアルな問題が待ち構えている。一歩一歩“当事者”に近づいているのだと実感する。 気がつくとわたしは途中からこの映画を「自分のこと」として観ていた。もはや「もし親が」よりも「もし自分が」のほうがリアルになってきているのだ。 ついこないだまでは「もし認知症になったら頼むから死なせてくれ」(そんなことできるわけないが)と妻に言うことがあった。徘徊に下の世話、人に迷惑をかけてまで生き延びるくらいならとっとと死ぬべしと思ったわけだ。 しかし、先述の中島京子さんのコメントを読んだり、先人の話を見聞きするうちに少し心が和らいできた気がする。「ちょっと笑ってもらえるならそれもいいかな」と。介護施設で10年働いた経験のある妻も「宇宙人だと思えばいいんだよ」とサバサバしたものだ。(笑) この映画のハイライトはなんといっても認知症の徘徊老人・山崎努が遊園地で子供のようにうれしそうにメリーゴーラウンドに乗っているシーンだ。こんな老人なら妻も許してくれるかもしれない。