【代表コラム】デジタルインフラの上下分離論

エッセイ 代表コラム コラム 新着情報
【代表コラム】デジタルインフラの上下分離論

代表コラムです。

いまいま、弊社の中では業務利用しているWindowsマシンでクラウドファイル共有サービス(BoxとかDropboxとかGoogleDriveみたいなものです)で、エクセルファイルが開けないという事象に直面している。WindowsOSのファイルパスの最長が260文字でなければならないという制限が原因の一端らしい。現象の再現が難しいらしく、原因の特定が難しい。困ったものだ。

仕事でパソコンを使わなければならない身としては不安しか無い。私は日常的にはAppleを使っているから今回のトラブルには直接影響されてないが、一部の?メンバーのPCで問題になっているらしく辛い。先月のwindowsアップデートで起動できなくなると言った報告も聞いた。もう少しなんとかならないのか。
windows11アップデート不具合最新の主な原因と対策まとめ-SSD認識エラーやネットワーク障害の復旧方法 – BTJテックノート

IT社会の基盤になりつつあるパソコンのOSですが、その供給がごく限られた巨大なIT会社に寡占されているというのはあんまりバランスがよくない気がする。いかんせん選択肢がない。高リテラシー層であれば、オープンな仕組みで構成されているUNIXやLINUXを使うこともできるだろうが、普通のユーザにはかなり難しい。Windowsを使わなければ事実上使いこなせないプリンタなどのハードウェアは山程あるわけで、寡占業界でいずれかのコンシューマー向けパソコンOSのいずれかを選択しなければいけない。ところがその品質が必ずしも高くないという。

もう少しパーソナルコンピュータの利用機会を社会的な公共インフラとして捉える考え方が普及してもよいのではないだろうか。

情報化社会の進展という文脈で考えると、郵便ネットワークは国営で開始されているし、電波メディアは電波という公共財をてこにして電波法の規制を通じて一定の公権力の関与が可能だった。しかし光ファイバーベースのインターネットはわかりやすい公権力の監視下には置かれていない。その手の規制に積極的なのはヨーロッパの国々であるが、少なくとも日本では寡占ソフトウェアメーカーの影響力(仕様決定力)が強すぎるように感じる。

Windowsは10から11になる際に、利用において重要なUIであるスタートメニューの位置変更を行ったというのはしばしば問題にされるが、そのような仕様を決める権利がもう少しユーザや市民の側にあっても良さそうではないかと思う。(UI/UXが大きく変化しないという点についてはAppleはまだよいが、全体的な独善性という点では問題もないとは言い切れない。)

この手のパソコンOSによってもたらされるユーザ体験(UX)の自由度が低いということはそのUX自体が公共的なインフラ(ユーザから見て強制的に使わざるを得ない)であるということを示している。その手の公共インフラのマネジメント論はファイナンスやマネジメントと言った領域で近年様々な工夫が行われるようになってきている。その中でも個人的にシステムやコンピュータ利用において顧みられてもよいのではないかと感じるアプローチが上下分離論である。

上下分離論は一般的には鉄道や空港、あるいは図書館などのインフラ運用が対象である。そういたインフラ運用において、変更が難しい施設所有は公的な主体に、競争によりサービス向上が望める部分は民間に委ねて行くという方法である。ソフトウェアの考え方に適用すればな、バックエンドのデータベースやモデリングはインフラであり固く安定的に提供する必要があるが、様々な好みや個人のハンディキャップなどに強く依存するUI/UX(フロントエンド)は個人の好みに合わせて本来もっと柔軟に選択できる方が良い。

デジタル庁がでてきて改善されているとはいえ、政府が提供するWebシステムなどで少し残念なUI/UXを作る傾向があると思う。多分官僚的組織で万人向けのUI/UXを作るという作業自体に多少無理があるのではないかと思う。上下分離論でそれを解消するとすれば、バックエンドからはデータや認証機構をAPIで提供する。その下部構造はインフラとして政府の管理化に置く。そのうえで利用のためのUI/UXの提供は上部構造として民間の自由競争の市場で解決するのが良いのではないかと感じる。

ちょっと短時間で難しいことを書こうとして色々ロジックが破綻してる気がするのですが、興味ある人に読んでもらえるとありがたいです。
引き続きよろしくお願いいたします。